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百人一首だいすき!

2015
09
13

道真は文学の天才でした。そんな天才が詠んだ詩が、藤原定家の目に留まり、小倉百人一首の仲間に入ることが出来ました。
その詩とは・・
このたびは 幣(ぬさ)も取り敢えず 手向山(たむけやま) 紅葉の錦 神のまにまに」という歌です。
背景は、可愛がってくれた当時の天皇と一緒にお供で京都から奈良に行く途中の事。
当時は山道に置いてある道祖神に安全な旅でありますようにと、綺麗な布の切れ端を(紙吹雪みたいに。これを幣と言います)道に撒いて祈願する風習がありました。
しかし道真はあまりに忙しくて幣を忘れてきてしまったのです。翌年に右大臣になるので今が一番忙しかったのでしょう。そこで、
道祖神様、このたびは幣を忘れてしまいすみませんでした。でもここの錦のように美しい紅葉を、幣の代わりと言っては何ですが、お心のままにお受けください。パンパン」
といったような意味です。風景だけではありません。技法もすごいのです。「このたび・・・この度とこの旅にかけてます。取り敢えずも、副詞のとりあえず渡しておくね、という意味の取り敢えずと、用意するという動詞をかけています。(ず は打消しの助動詞?)。それから手向山。手向け山という場所(正確には違うのだがまぁまぁ)と何かをたむける、とかけてます」以上、上句はすべて掛詞なんです。この技術技巧プラス目の前に浮かぶ情景。これが藤原定家が百人一首に選んだ理由でしょう。
百人一首ってイマジネーションなんです。何度も何度もつぶやいていると不思議とその情景が頭に浮かんでくるんです。
つぶやいてみてください!
朝なのか夕方なのか?天気は曇りか?晴れか?、何人くらいと歩いているのか?、寒いのか暑いのか?、疲れているのか元気なのか? スピードはどのくらいなのか?きりがありません。好きに想像して解釈すればよいんです。五感を感じ取ってください。
きっと素晴らしい紅葉が広がっていたのでしょう! 道真も歩きながらその美しさに圧倒されていたに違いありません。その峠を奈良に向かって歩いていたのでしょう。目を閉じてください。すると・・・、紅葉を踏む足音、落ち葉を散らし顔をなでる冷たい風、湿っぽい臭い、美しい紅葉・・・
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