かつて頼朝がこの三嶋大社を崇拝していました。
そのおかげで征夷大将軍まで出世したと言われています。それにあやかろうと思い・・・
この神社には日本一の金木犀があります。いやいや大きい。満開時には周囲8キロまで香とか。
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2015
09
29
2015
09
29
ここ2,3日の月は大きくて、明るくて、まん丸で本当に素敵な月です。私もおもわず写真を撮ってしまいました。
今迄はサンサンと太陽が降り注いで、いつまでも明るく、目に映るものにはカラーがあって、動物人間が活発に活動している。
それが一転して・・・
昔、長月といわれた9月は、もう1カ月もすれば、花木は枯れ、17時には真っ暗になり、生き物が寒くて外にでなくなり、
人もまばらになってくる。その冬を目前にしたとても物悲しい季節なんです。
月の百人一首はたくさんあるのですが、その中でこの間の菅原道真の一つ前のうた、をご紹介。
大江千里という人が詠んだといわれている。
「月見れば 千々に物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど」
意味「秋の月を見ていると、たくさんの色々なものが 悲しく感じられる。私一人の為に来た秋ではないのだけれど・・・」
この技法は、千とひとつを対比していること、それと、上の句と下の句を倒置しています。いわゆる倒置法。
この倒置法によって、私一人の為に来た秋ではないのだけれど、私だけに来たような感じがして・・・ という感じで、
もの言いたげさを残している、情緒あるうたになっていると思います。
正岡子規はこの歌を、下の句は蛇足だと言っています。私一人の為に来た秋ではない、は当たり前の事であるということです。
ただ、少し寒い空気の中、外に出て昨夜の月を見ながら、何度も何度もこの句をつぶやいてみると、
定家がこの歌を百人一首に取り入れたわけが分かる気がします。当時は電気もなく、ネオンもなく、車の音もなく、静まり返った真っ暗な中です。
都幾川あたりの山中に行って試してみると、わかるかましれません。
2015
09
28
2015
09
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2015
09
17
先日横浜の中古の片づけの打ち合わせの帰りに、中華街の神社に参拝に行きました。
金箔で塗られたど派手な寺院は、日本のお寺とは似て異なるものでした。もともと仏教は800年半ばくらいに最澄空海らの遣唐使によって
日本に持ち込まれ普及したもので、元祖はインド→中国なんです。ですから本当はこの位ど派手が本当なのかもしれません。
日本人特有の「質素倹約」を美とする考え方に基づいた日本固有のお寺になったのでしょうね。
お線香も花火みたいな太くて長いもの。でもお線香をあげるのです。
参拝方法も、ひざまづいて三回礼をしてから合掌。でも日本は立ったままですが、合掌はします。
仏さまも、4体あって、この仏が健康、この仏さまが金運などと役割があるのです。日本の仏にも、薬師如来は健康、大黒天、恵比寿様は金運など役割分担されています。
似ているようで非なるものみたいな感じで、とても興味深かったです。
2015
09
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2015
09
13
道真は文学の天才でした。そんな天才が詠んだ詩が、藤原定家の目に留まり、小倉百人一首の仲間に入ることが出来ました。
その詩とは・・
「このたびは 幣(ぬさ)も取り敢えず 手向山(たむけやま) 紅葉の錦 神のまにまに」という歌です。
背景は、可愛がってくれた当時の天皇と一緒にお供で京都から奈良に行く途中の事。
当時は山道に置いてある道祖神に安全な旅でありますようにと、綺麗な布の切れ端を(紙吹雪みたいに。これを幣と言います)道に撒いて祈願する風習がありました。
しかし道真はあまりに忙しくて幣を忘れてきてしまったのです。翌年に右大臣になるので今が一番忙しかったのでしょう。そこで、
「道祖神様、このたびは幣を忘れてしまいすみませんでした。でもここの錦のように美しい紅葉を、幣の代わりと言っては何ですが、お心のままにお受けください。パンパン」
といったような意味です。風景だけではありません。技法もすごいのです。「このたび・・・この度とこの旅にかけてます。取り敢えずも、副詞のとりあえず渡しておくね、という意味の取り敢えずと、用意するという動詞をかけています。(ず は打消しの助動詞?)。それから手向山。手向け山という場所(正確には違うのだがまぁまぁ)と何かをたむける、とかけてます」以上、上句はすべて掛詞なんです。この技術技巧プラス目の前に浮かぶ情景。これが藤原定家が百人一首に選んだ理由でしょう。
百人一首ってイマジネーションなんです。何度も何度もつぶやいていると不思議とその情景が頭に浮かんでくるんです。
つぶやいてみてください!
朝なのか夕方なのか?天気は曇りか?晴れか?、何人くらいと歩いているのか?、寒いのか暑いのか?、疲れているのか元気なのか? スピードはどのくらいなのか?きりがありません。好きに想像して解釈すればよいんです。五感を感じ取ってください。
きっと素晴らしい紅葉が広がっていたのでしょう! 道真も歩きながらその美しさに圧倒されていたに違いありません。その峠を奈良に向かって歩いていたのでしょう。目を閉じてください。すると・・・、紅葉を踏む足音、落ち葉を散らし顔をなでる冷たい風、湿っぽい臭い、美しい紅葉・・・
2015
09
13
先日福岡の大宰府天満宮に行ってきたよ、って書きましたが太宰府という地は、道真が京から飛ばされ亡くなった場所なんです。
道真は頭も人柄もよく、天皇をはじめいろいろな人に愛されていました。(女癖は悪かったらしいのですが・・・)
しかし、それをねたむ人がいつの世にも必ず居ます。その人によって、汚名を着せられ、大宰府に飛ばされました。
大宰府では給料も出ないみじめな生活を強いらげられ、京を忘れることなく亡くなっていきました。道真が無くなって間もなく、
汚名を着せた人が若くして突然死にました。その後、汚名を着せるのに関わった人達が3~4人急死しました。
極めつけは、天皇も含めみんなで会議をしている家に雷が落ち、4人ほど死にました。それを目の当たりにした天皇が、びびって
京都に北野天満宮を建設し道真を神として祭りました。大宰府天満宮も道真を神として祭り道真の霊を沈めたと言われています。
その天才文学者、道真の百人一首は・・・
2015
09
12