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三嶋の帰りに、百人一首で読まれた場所が近かったので、行った見ました。
駿河の国(今の静岡)で詠まれた唯一の歌がこれ。
「田子の浦に うちい出てみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪はふりつつ」
まぁその意味の通りの歌。白妙とは、真っ白な布のこと。持統天皇の歌にもでてきます。
山部赤人という人が詠んだとされています。冬の雪です。
実際にこの場所から、富士山の山頂付近に雪が降っているかどうかなんか分かりません。
若い頃、定家はあまり評価していなったそうです。他の歌集に選んでません。
なぜ晩年の定家がこの歌を百人一首選んだのか。諸説ありますが・・・
今でも田子の浦っていう海岸があります。三嶋から海岸線を30分くらい走ったところです。
後ろにはどこまでも続く、白い砂浜と青い海、白い波。冷たい海風がここちよく髪をなでます。
そして緑色の松林の上に、大きく雄大な富士山がそびえたちます。
そこに立ってこの歌を歌ってみると、定家の選んだ理由が分かるような気がします・・・
天気がいまいちでした。この松の後ろに富士山が見えます。
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ここ2,3日の月は大きくて、明るくて、まん丸で本当に素敵な月です。私もおもわず写真を撮ってしまいました。
今迄はサンサンと太陽が降り注いで、いつまでも明るく、目に映るものにはカラーがあって、動物人間が活発に活動している。
それが一転して・・・
昔、長月といわれた9月は、もう1カ月もすれば、花木は枯れ、17時には真っ暗になり、生き物が寒くて外にでなくなり、
人もまばらになってくる。その冬を目前にしたとても物悲しい季節なんです。
月の百人一首はたくさんあるのですが、その中でこの間の菅原道真の一つ前のうた、をご紹介。
大江千里という人が詠んだといわれている。
「月見れば 千々に物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど」
意味「秋の月を見ていると、たくさんの色々なものが 悲しく感じられる。私一人の為に来た秋ではないのだけれど・・・」
この技法は、千とひとつを対比していること、それと、上の句と下の句を倒置しています。いわゆる倒置法。
この倒置法によって、私一人の為に来た秋ではないのだけれど、私だけに来たような感じがして・・・ という感じで、
もの言いたげさを残している、情緒あるうたになっていると思います。
正岡子規はこの歌を、下の句は蛇足だと言っています。私一人の為に来た秋ではない、は当たり前の事であるということです。
ただ、少し寒い空気の中、外に出て昨夜の月を見ながら、何度も何度もこの句をつぶやいてみると、
定家がこの歌を百人一首に取り入れたわけが分かる気がします。当時は電気もなく、ネオンもなく、車の音もなく、静まり返った真っ暗な中です。
都幾川あたりの山中に行って試してみると、わかるかましれません。
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先日横浜の中古の片づけの打ち合わせの帰りに、中華街の神社に参拝に行きました。
金箔で塗られたど派手な寺院は、日本のお寺とは似て異なるものでした。もともと仏教は800年半ばくらいに最澄空海らの遣唐使によって
日本に持ち込まれ普及したもので、元祖はインド→中国なんです。ですから本当はこの位ど派手が本当なのかもしれません。
日本人特有の「質素倹約」を美とする考え方に基づいた日本固有のお寺になったのでしょうね。
お線香も花火みたいな太くて長いもの。でもお線香をあげるのです。
参拝方法も、ひざまづいて三回礼をしてから合掌。でも日本は立ったままですが、合掌はします。
仏さまも、4体あって、この仏が健康、この仏さまが金運などと役割があるのです。日本の仏にも、薬師如来は健康、大黒天、恵比寿様は金運など役割分担されています。
似ているようで非なるものみたいな感じで、とても興味深かったです。