先日、購入候補地の視察に千葉方面へ。途中、犬吠埼に立ち寄りました。
雨でしたが、白い灯台は一層際立ち存在感を放っています。資料によると1874年に英国人設計士によって建てられた西洋型第一等灯台で、日本で24番目に点灯されたのだそう。
犬吠埼からの景色はこんな感じ。やはり曇っていますが、180度広がるパノラマは圧巻です。
サザエのつぼ焼き!
金目鯛の煮付け!!
海の幸に景色に空気。とても良い場所です。ご縁があれば、千葉の物件もご紹介していきたいですね。
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道真は文学の天才でした。そんな天才が詠んだ詩が、藤原定家の目に留まり、小倉百人一首の仲間に入ることが出来ました。
その詩とは・・
「このたびは 幣(ぬさ)も取り敢えず 手向山(たむけやま) 紅葉の錦 神のまにまに」という歌です。
背景は、可愛がってくれた当時の天皇と一緒にお供で京都から奈良に行く途中の事。
当時は山道に置いてある道祖神に安全な旅でありますようにと、綺麗な布の切れ端を(紙吹雪みたいに。これを幣と言います)道に撒いて祈願する風習がありました。
しかし道真はあまりに忙しくて幣を忘れてきてしまったのです。翌年に右大臣になるので今が一番忙しかったのでしょう。そこで、
「道祖神様、このたびは幣を忘れてしまいすみませんでした。でもここの錦のように美しい紅葉を、幣の代わりと言っては何ですが、お心のままにお受けください。パンパン」
といったような意味です。風景だけではありません。技法もすごいのです。「このたび・・・この度とこの旅にかけてます。取り敢えずも、副詞のとりあえず渡しておくね、という意味の取り敢えずと、用意するという動詞をかけています。(ず は打消しの助動詞?)。それから手向山。手向け山という場所(正確には違うのだがまぁまぁ)と何かをたむける、とかけてます」以上、上句はすべて掛詞なんです。この技術技巧プラス目の前に浮かぶ情景。これが藤原定家が百人一首に選んだ理由でしょう。
百人一首ってイマジネーションなんです。何度も何度もつぶやいていると不思議とその情景が頭に浮かんでくるんです。
つぶやいてみてください!
朝なのか夕方なのか?天気は曇りか?晴れか?、何人くらいと歩いているのか?、寒いのか暑いのか?、疲れているのか元気なのか? スピードはどのくらいなのか?きりがありません。好きに想像して解釈すればよいんです。五感を感じ取ってください。
きっと素晴らしい紅葉が広がっていたのでしょう! 道真も歩きながらその美しさに圧倒されていたに違いありません。その峠を奈良に向かって歩いていたのでしょう。目を閉じてください。すると・・・、紅葉を踏む足音、落ち葉を散らし顔をなでる冷たい風、湿っぽい臭い、美しい紅葉・・・
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先日福岡の大宰府天満宮に行ってきたよ、って書きましたが太宰府という地は、道真が京から飛ばされ亡くなった場所なんです。
道真は頭も人柄もよく、天皇をはじめいろいろな人に愛されていました。(女癖は悪かったらしいのですが・・・)
しかし、それをねたむ人がいつの世にも必ず居ます。その人によって、汚名を着せられ、大宰府に飛ばされました。
大宰府では給料も出ないみじめな生活を強いらげられ、京を忘れることなく亡くなっていきました。道真が無くなって間もなく、
汚名を着せた人が若くして突然死にました。その後、汚名を着せるのに関わった人達が3~4人急死しました。
極めつけは、天皇も含めみんなで会議をしている家に雷が落ち、4人ほど死にました。それを目の当たりにした天皇が、びびって
京都に北野天満宮を建設し道真を神として祭りました。大宰府天満宮も道真を神として祭り道真の霊を沈めたと言われています。
その天才文学者、道真の百人一首は・・・
プレハブ3棟が、賃料7.8万円に!バス停から徒歩1分。関越自動車道鶴ヶ島ICから7.5km。国道245、県道256、160、39に近く、川越市内はもちろん、坂戸、鶴ヶ島、東松山など、近隣市街へのアクセスも良好です!
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お寺と神社。日本には二種類お参りするところがあります。まぁ、なんとも面倒くさいですね。なぜこうなったのか?実は神社は神様(キリストとは違う)天照大神とか大国主命とか言いった神様。これは古代紀元前からあった発想なんです。もっとも石とか木、山、火、草などに宿ると考えられていて、そういったものを拝んでいたのですが。今でも鏡なんかおいてありますよね。
それに引き換え仏教(釈迦如来、阿弥陀如来、お経)は西暦500年位に入ってきたものなんです。インド、中国から。でも当時の朝廷や民たちは後から来た仏教を受け入れました。まぁどちらでも良いっていう考え方です。
しかしキリストが入ってくると、当時のお偉方はキリスト反対(踏み絵など)でしたから、みんなどっかのお寺の檀家になれ!と命令したので、仏教が勢い付くわけです。勢いづくとお寺の人たちは天狗になって、悪さをするようになる。
それを見かねて明治初期に「神仏分離令」を出すんです。それを根拠にみんなお寺を片っ端から壊していきました。すると今度はお寺の力が弱くなっていき、神社とお寺のバランスがとれて、今があるのです。
今はどっちでも変わらないのですが、人が死ぬとお寺でお坊さんがお経を唱え、合格祈願や安産祈願なんかは神社で行うと、なんとなく形が出来てきた感じですね。
下の写真がこの間行ってきました、立石寺。通称山寺です。お寺です。
下の写真は去年行った、住吉大社です。神社です。神社にも、「大社、神宮、天満宮、稲荷、八幡宮など」呼び方がいろいろあるのはなぜでしょうか?